93年〜96年

18才

オレはまだ高校2年生。詳細は、生を受けてを見て下さい。

運転免許証は、夏休みを利用して合宿免許で取得。新潟まで行った。

歯が痛くなり、歯医者にも行ったり、部屋が汚く教習所の先生に怒鳴られ、

実技講習では、運転のセンスが全然ないとまで言われ、最悪。

車なんて、もうどうでもいい。。。。。。そんな事を思っていた。

免許取得後も、車に興味を持つ事はなかった。

父親のクラウンを借りて乗ってはいたが、ドライブしたりと、ごく普通のカーライフ。

左折時に、巻き込みで壁にこすったりと、相変わらずセンスもない。



 19才

 友達の紹介で、ある先輩と出会う。

 車が横になったり、1回転を体験をする。

 毎日の様に、助手席に。面白い。オレもやりたい。

 父親のクラウンを内緒で借りて、夜中の埠頭へ。

 サイドターンから練習をして、ドリフトも練習。

 でも今考えると、クラウンでドリフトって。。。

 オートマに、足サイド。。もちろんノーマル。

 。。アホですね、アホ。


 高校を卒業してから、先輩からローンで購入。

 峠に行くようになる。。。っが、惨敗(笑)

 誰にも勝てない。。。オレって才能ない。。

 しかも、買ったばかりでクラッシュしそう。

 いじけて、家路に帰る。

 先輩にも、お前駄目だな〜!無理だよ!って(苦笑)

 負けず嫌いの性格が祟って、毎週末、1人で峠に。

 その甲斐あって、いつの間にか、お山の大将に。

 それからは、下りも、上りも負け知らず。

 もちろん、バカにされた先輩もぶっちぎり(笑)

 しかし、オレの格好やばくない?

 。。。誰よ、お前。。。


 こんな状態で、友達連中といじくり回してた。

 近くに、農道があってさ、直管にしたりと色々試した。

 中でも、友達の車のデフを取り付けた。

 ネジが2本余った。走りにいってドリフトした。

 結果、突然挙動が乱れてクラッシュ。

 あっ、ドライバーは車のオーナーの友達ね。

 オレなら制御できたのになぁ。。(笑)

 いえいえ、オレのせいじゃありません。

 皆で取り付けたから、皆のせい♪

 ぶははははははは♪

 足廻りが取れたくらいかな。。オレのは(苦笑)


 A級ライセンス

 20才

 お山の大将になってから、誰にも負ける事がなかった。

 この辺から、オレの人生は狂い出す(笑)

 何を思ったか、レーシングドライバーになる事を決意。

 もちろんプロだ。やるならプロだ。

 先輩にも相談するが、なり方が全く分からない。

 どうしたら、プロのレーシングドライバーになれるの?

 とりあえずは、腕だけは身につけておこうと。

 そこで、先輩が1台車をプレゼント。

 河川敷で、1日中車の事を学んだ。とにかく遊んだ。

 乗って、乗って。。乗りまくった。

 挙げ句の果てには、1日で廃車に追いやる(笑)


 B級ライセンスを取得。

 その後クラウンでジムカーナ大会に参加。

 順調にA級ライセンスを取得。

 この写真は、初めてサーキットを走った時。

 そうは言っても、A級ライセンスの講習。

 しかし、なんだ?この車は。。

 ヤン車じゃん。。。皆に散々言われたけど(笑)

 初めて、富士を走った時に思ったのは、

 道幅が広すぎて、どこをどう走って良いか分からない。

 無事に、A級ライセンス取得。


 初体験

 20才〜21才

 とにかく、レースをやるにはお金がかかる事が分かった。オレん家は一般家庭。

 しかも息子に大金出す訳がない。やりたい事があるなら、自分でやれ。そんなタイプ。

 ちっ、すねもかじれない。。。(笑)しかし諦めきれない。

 朝は普通に働き、深夜にバイトを2つ入れる。ガソリンスタンドと、食品倉庫。

 大変だったけど、今思うと楽しい時期だった。目標が明確だったしね。

 寝ないで、サーキットに行くなんて当たり前だった。


 新聞広告で、日産レーシングスクールの広告を見つける。

 確か2日で、5万5千円。すぐに申し込みをした。

 飛行機代、宿泊費、食事代込み。安い。

 両親にも、遅かったらきっぱり辞める事にすると告げる。

 最初で最後の、レーシングカーになるかもしれなかった。

 周りは、レース経験者も沢山いた。

 オレ位だった、レーシングカーも、サーキットも、

 初体験なんて人は。

 結果は何故か、ドライもウェットも、12台中トップ。

 この時は嬉しかったね〜、辞めなくて済む!って。

 まぁ、ただ恐いもの知らずだったんだな。

 ウェットの中、4速全開でコーナーに飛び込んでいくし。

 当然、下手くそだから、コースアウト。

 散々、怒られたな〜(笑)

 ちなみに、この車の名前はザウルスjr。


 挑戦

 日産レーシングスクールを受講して、1年経った。

 何もできずに、1年。

 働く事と、各チームを回った事だけ。

 特に何も進展がなかった。

 そんな時、日産レーシングスクールを通して、

 筑波サーキットで、ザウルスというレーシングカーに、

 乗る機会を得る。1年ぶり。サーキットも、レーシングカーも。

 不安と期待が入り交じりながら、サーキット入り。

 当然、筑波は初めてだから、コースを覚える事に専念。

 っと思っていたんだけど、周りのFJやら、F4が速い。

 速いだけなら、まだしも。。。

 後ろも見てないし、スピン、クラッシュ続出。

 巻き込まれそうになりながらも、走行を続けた。

 オレにしては、珍しく周りに呑まれてた事を思い出す。

 この時、ザウルスレースでのトップが1分1秒だった。

 オレ、1分3秒〜4秒。。。。自信を無くす(笑)

 負けたくはなかったけど、負けて当然。

 オレは、挑戦者なんだから。。。


 レースデビュー

 22才

 1年間、練習だけに集中した。

 そうは言っても、資金的に裕福ではなかったので、

 実際に、練習した時間や日数は、あまりなかった。

 良く言えば、限られた中でやるしかなかったので、

 1回の練習での集中力は凄かった。

 練習では、1度も雨の中を走らなかった。雨が降らなかった。

 しかし、レース当日は大雨。

 よぉ〜く覚えてる。。顔が青ざめたの(笑)

 峠でもそうだったんだけど、走るたびにコンディションが変わる。

 雨は、雨脚が強い時もあるし、弱い時もある。

 とにかくずっと走る事にした。ドリフトで走ってみたりもした。

 雨では、どんな走りが速いのか。。。

 雨の中はドリフトしようが、アクセルを踏む方が速い(笑)

 予選中は、自分が何番手なのか分からなかったけど、

 皆ガッツポーズしてた。ん?まぁまぁ、良かったのかな?

 車を降りたら、皆がポールポジション!って。

 2番手以下に、2秒以上の差をつけてのポールポジション。

 Bコーナー〜最終コーナー、100Rが他車は凄く遅かった。

 決勝レース。スタートに失敗。

 1コーナーまでに10番手辺りまで落ちた。。最悪。

 チェッカーは10周?12周だったかな?

 3位まできたところで、レース終了。あと3周あれば。

 オレのデビューレースは、終わった。

 予選/ポールポジション

 決勝/3位

 ムービー →→→→ 表彰台ムービー


 第2戦

 今はなき、全日本ツーリングカー選手権。JTTC。

 当時は人気もあり、観客数も5万人ぐらい。

 2戦目のレースは、前座レース。

 前座と言っても、観客数は5万人。晴れ舞台。

 しかもこの時は、今はなき?!歌手のMAXが歌ってた。

 確か、「ゲットマイラブ」だった様な。

 ねっ、MAXって、今どうなってるの?

 デビュー戦に続き、2戦目も予選は大雨。

 オレのマシンは、コンピュータトラブルに見舞われる。

 予選は、走れずに終わり、決勝は最後尾スタートを強いられる。

 路面は濡れていたけど、雨は降ったり止んだりだった。

 タイヤ選択に迷い、レインタイヤの人もいた。

 オレは迷わず、スリックタイヤを選んだ。

 どうせ、最後尾スタートだし、失うものはないし、

 何より、路面が乾いたりでもしたら。

 最後尾からトップに!なんて展開もある事を想像してた(笑)

 初めは、慎重に。肝に命じた。。。。はずだった。

 スタートして、1コーナーで1台をパス。

 調子に乗り、続くサントリーコーナーでもパス。

 な訳なく、あえなくスピン。

 その後、周回を続けるも、今度はヘアピンでスピン。

 周りの脱落にも助けられ、ポイントゲット(笑)

 予選/トラブルの為、出走できず。

 決勝/7位


こんな感じで、オレ様の93年〜96年という年は終わった。長い様で、あっという間の4年間。

何も分からないところから、レーシングドライバーになる事だけを目指してた。

苦しかった事も沢山あったけど、楽しい事も沢山あった。一瞬なんだよね。

辛い事も、今にして思えば、一瞬の出来事。

だからこそ、人間はどんなに辛い事があっても、生きていける。時間が忘れさせてくれる。

今でもそうだけど、波乱万丈の人生を、これからも良い意味で楽しんでいきます。

人生は、不思議です。

97年に続きます。。