00年〜01年 |
2000年。ミレ二アム。騒いでいた事を思い出す。事実、オレにとっても最高の年になるはずだった。 新規スポンサーも獲得し、型落ちのエンジンにシャシーとはいえ、全日本F3選手権に参戦も決定した。 99年のF3合同テストに参加。初めて鈴鹿を走った。00年のレース前のF3合同テストにも参加。 96年レースを始め、資金難でレースができなくなり、練習すらサーキットを走る事さえできなかった。 やっと、やっとだ。公の舞台に戻る事ができた。F3合同テスト。全日本F3選手権参戦。 スポンサーを始め、応援してくれてる方々のお陰でF3に乗る事ができた。 その方達の為にも、自分自身の為にも、これまでの集大成になるはずだった。 フォーミュラレースを始めた者にとって、まずはF3が目標になる。 F3はドライバー、チーム、資金、どれをとってもプロフェッショナル。 レースを始めて、3年でF3に乗れるとは思ってもみてなかった。 00年は、オレのレース人生の中で、一番の分れ道だったし栄光と挫折が一遍に訪れた年になった。 何がミレ二アムだよ!なんて思った事をよく覚えています。挫折へ向けていよいよ年が始った。。。 |
2000年1月〜3月/鈴鹿に移動 |
00年は、富士スピードウェイから鈴鹿サーキットに移動した。F3開幕戦は3月。初戦は鈴鹿。 開幕戦までに、鈴鹿を沢山走っておく必要があった。1度しか走った事がないんだから。。。 F3も殆ど乗ってなかったので、とにかく乗る事に。スポンサー様のお陰で、2泊、3泊で鈴鹿に行った。 プライベートテストでは、順調にタイムも上がっていき、中古タイヤで2分3秒までいった。 当時のトップが、ニュータイヤで2分1秒〜2秒ほどだったので、まぁまぁ感触は掴めてきた。 ちなみに、オレ達の体制はいつもお世話になってるチームの方々もいるんだけど、基本的には2人。 メカニック1人に、オレがドライバー兼メカニック。人数的には、弱小中の弱小だった(笑) それでもトップから、2秒落ちまで走る事ができたし、ニュータイヤだったら1秒落ちまでいけるはず。 2月下旬には、全日本F3選手権参戦の目処が経ってきていたので、カラーリングのデザインも決定した。 そして開幕前のF3合同テストにも参加。合同テストも、もちろん2人体制で参加(笑) 開幕前のF3合同テストは、悔やんでも悔やみ切れない。ニュータイヤで参加できなかった。 99年から使用しているタイヤに加えて、富士、鈴鹿で走り込んだタイヤで参加した。 プライベートテストでは、2分3秒までいったのに、合同テストでは6秒までしかいかなかった。 テストはテストなので、順位うんぬんじゃないし、新型3台も喰えたので上出来だったのかもしれないけど、 普段通り、3秒だったら中段辺りだったし、型落ちのF3とはいえ下位と中段じゃイメージも違う。 開幕戦は、ちゃんとした体制で出場する事を強く思ったし、願った。 |
人生色々。。。。。 |
合同テストが終わり、いよいよ参戦への準備。各スポンサー様と連絡を取り合い、細かい最終打ち合わせ。 25年間生きてきた人生の中でも最高の波に乗っていた。お金がなくて始めたオレ。 しかし努力すれば報われるし、事実F3に乗る事もできた。そして全日本F3選手権に参戦もほぼ決定。 色々な意味で、オレはのっていた。2000年。ミレ二アム万歳(笑)。。。。。そうなるはずだった。 しかし事件が起きた。会議室で起こってくれるだけなら良かったのだが、事件は現場で起こった(笑) 今だに詳細は書きたくない。ただレースはお金が必要。スポンサー様も必要。 レースに参戦できない=お金が足りない=スポンサー様に何かあった訳なんだけど。 人生は山あり谷あり。よく言ったもんです。でもオレの場合、山と谷が一緒だった訳なんだけど。 希望と絶望を一緒に味わいました。そして、オレの人生は迷路に迷い混む事になりました。 |
波乱万丈 |
2000年3月にあんな事が起こってから、オレの人生は転がり落ちていきました。 本当に一度転がり出すと、止まらないものなんですね。。それを実感しました。。。 その後、F3の車体自体に問題が起こりました。今となっては解決した事ですので、詳細は伏せます。 売買契約と全く違った車だった事で、スポンサー様を含め法廷までいきそうになりました。 その間、サーキットはもちろんF3にも乗れなくなり、苦痛の日々を送りました。 先方の心無い態度に、頭にきたし本当にやってやろうかとも思いました(笑) 色々な形で復讐さえ考えていた。。そんな自分も恐かった。性根は変わらない様ですね(苦笑) ただ10代の頃だったら、怒りに我を忘れてやってしまって、何もかも終わりだったと思います。 それでは何の解決にもならないし、レース界からも追放されてしまった事でしょう。自己満足なだけです。 自分が正しいのなら、正々堂々。。。。大人のやり方を覚える事もできました。 それに今まで、自分を応援してくれてるスポンサー含め、友人、知人、ここに遊びに来てくれる方々。 皆を裏切ってしまう事になります。もうガキっぽいやり方は通用しないし、アホらしい事にも気付いた。 約1年間、走る事はおろかサーキットにも行けなくなり、真剣にレースから身を引く事を考えました。 |
勇気 |
事件は解決した。しかしオレは全てを失った。一難去って、また一難だ。 事件をキッカケに、今まで築いてきた信用、信頼、知人、スポンサーを失なった。 オレの人間的な信頼、信用。。これを失ったのが一番辛かった。 オレは何もしてないのに。。。そんな気持ちだけが、頭の中を駆け巡っていた。 3:4:3って知ってる?3人は自分の味方。4人は味方でも敵でもない。3人は自分を嫌いな人。 オレの身近な人達だけは離れていかなかった。それに救われた。 良い時っていうのは、沢山の人達が集まってくれる。悪くなると、すぐにいなくなってしまう。 そういう事が経験できたし、人間を見るという勉強にもなった。人心掌握の勉強もできた。 契約の問題もあって、F3は残った。でも、0からというよりマイナスからの出発だ。 金銭的なサポートは、全てなくなり見通しも経たなくなった。 絶望的な状況に陥りました(苦笑) |
オレの2000年〜2001年は、最悪な年になりました。 真剣にレースを辞めようと思ったし、逃げ出したかったぐらい辛かったです。 でも、この時の経験があるから今があるし、精神的にも強くなったと思う。 そんな経験をした、ミレ二アム。人生は辛い(笑) |